924589_oハンナ・アーレント(1906年10月14日 - 1975年12月4日)
 ドイツ出身のユダヤ人でアメリカ合衆国に亡命した哲学者、思想家。主に政治哲学の分野で活躍した。全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。マールブ ルク大学でハイデガーに哲学を師事するが、一時期は既婚者のハイデガーと不倫関係にあった。1963年、アイヒマン裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌 に連載し、ユダヤ人組織のナチスへの協力にふれたことで全米で激しい論争を巻き起こす。同年「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」とし て単行本化されたアーレントのレポートは、ホロコースト研究の最重要文献のひとつとなった。この中で「悪の凡庸さ」を(悪は悪人が作り出すのではなく、思 考停止の凡人が作る。)と定義した。1963年シカゴ大学教授に、1968年ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ教授にそれぞれ就任。最晩年 まで政治哲学の第一人者として精力的な活動を続けた。

アドルフ・アイヒマンaihi(1906年3月19日 - 1962年6月1日)
 ドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer)。ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終 的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、 1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にか けられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された。


haideマルティン・ハイデッガー(1889年9月26日 - 1976年5月26日)
 ドイツの哲学者。実存主義哲学における重要な思想家とされるだけでなく、20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人。1924年から28年ま で教え子アーレントと恋愛関係にあり、その間、主著「存在と時間」(1927)を執筆した。1933年フライブルク大学学長就任直後にナチス入党、ヒト ラーを公然と支持した。戦後は教職から追放されるが、1951年に復職。1975年のアーレントの死まで、彼女とは一定の関係を保ち続けた。
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ハインリヒ・ブリュッヒャー(1899年 – 1970年)
 パリ亡命時代に知り合った二番目の夫。第一次世界大戦直後のドイツ革命時に労働者としてスパルタクス団に身を投じた筋金入りの元革命家。もともとノンポリだったアーレントの政治的思考を鍛える良き対話相手となった。高校中退ながら1952年バード大学哲学科教授に就任。妻アーレントの政治観に大きな影響を与えた。 (左アーレント、右ブリュッヒャー)
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クルト・ブルーメンフェルト(1884年5月29日– 1963年5月21日)
 ドイツ系のシオニスト(イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようとするユダヤ人の近代的運動家)。ハンナ・アーレントはブルーメンフェルトに出会 い、シオニズムの政治思想へと導かれている。シオニズムと離れた後もアーレントは彼に魅了され続け、ブルーメンフェルトは彼女が尊敬をもって口にする少数 の中の一人であった。

ハンス・ヨナス(1903年5月10日-1993年2月5日)05
 ドイツ生まれの実存主義哲学者。1920年代に実存主義哲学者マルティン・ハイデガーと神学者で新約聖書学者であるルドルフ・ブルトマンの元で学んだ。同じく哲学博士の学位を得るため研究していたハンナ・アーレントの知遇を得、二人はこの後、生涯永続する友人となった。



03メアリー・マッカーシー(1912年6月21日‐1989年10月25日)
 アメリカ合衆国の作家・批評家。いわゆる「ニューヨーク知識人」周辺のインテレクチュアル・ヒストリーを彩る重要なキャラクターと目されることが多い。なかでもハンナ・アーレントとの生涯にわたる友情はよく知られており、二人の往復書簡集も出版されている。
 
                                              参照 wikipedia